「性的だから」と「性的だけれど」 - 映像広告における性的表現について

何かを連想させるサントリーの「頂」のCMと、お色気タレントの仙台・宮城観光キャンペーン動画、これらは性的だから問題になるのだろうか。(片方は公開停止、もう片方は公開継続。)

この世の中、性的なものは今もどこかに存在している。

TVのアダルト専門チャンネルやそっち系のWebサイトで展開すればよかったのではないか。
(民間はともかく、行政側がそれをするかどうかは置いといて。)
そこで広告に触れた視聴者が面白がって公共の場に持ち込んだら、その人の感性が問われるだけ。

性的だからNGではなく、目に触れられる場所がどこなのかが問題だ。
性的だから云々、ではなくて、性的だけれど相応しい場所は云々、でいいじゃないか。

これは性に関連しない場合も同じだ。
南極点に「沖縄最高!」と書いた旗を立てたらどうする?
地元の人間からしたら、脈絡なしに何じゃそりゃあ?って、恥ずかしいお話だ・・・

映画(R15+)の性的シーンにはコンテクストがあるからこそ、ほとんどの観客はそれを受け入れる。別媒体においても、深夜ラジオの番組で卑猥な話を楽しむリスナーもまた同じ。

この時代における性的表現を映像に組み込むための安全な方法は、その映像をそれが相応しい場所に設置すること。楽しむ層が特有であるが故だ。

「頂」のCMと壇蜜の動画よりも、ホテルに置いているアダルトチャンネルのパンフとコンビニのアダルト雑誌のコーナーが、当たり前になっているのはいただけない。


追記:
志村けんも一緒に出していたら多少許されたかもしれない。本気で日本の性的表現の活用の場を広げたいというのなら、そうすべきだ。